Floor Plan of the Special Exhibition:“History of ICU through Its Buildings”
2013.9.10〜11.15

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鈴木先生

鈴木先生
思い入れのある場所「学内住宅」

 1993年から大阪の方の国立大学からここにやってきて、96年まで外に住んでいたけれど、96年からずっと学内住宅です。
学内住宅が思い入れのある場所というには、二つ理由があります。
一つ目は、心を豊かにしてくれたということ。ICUの環境は、それまでずっときれいだなあと思っていたけど、
住むようになってから四季の移り変わりを身近に感じるようになりました。私は自然のことが特別好きってわけでもないけど、
楽しみながら見れるようになったということは、とても人生が豊かになった特別なことだと思っています。
なので、そういうところに住めるようになったということはとても素晴らしいことだと感じています。
私は一週間のうちに結構長い時間を仕事に費やすけれども、この自然のおかげでこころが豊かに過ごせています。
きっとこの自然がなかったら、私はダメになっていたでしょう。
 もう一つの理由は、学生が訪れてくれるということですね。
学内住宅の作りというのは、部屋数が少なくリビングが大きいというのが特徴なので、その広いリビングに学生を招くことができるです。
ICU
で働く前から、学生に来てもらうことが奥さんにとっても自分にとっても夢でした。なので、家で授業とかとは違ういろんな話ができて、教師と生徒、といった形とはまた違う形で関係が持てるということがとても嬉しく思っています。
例えば、2003年から始まってる聖書の会というのがあるのですが、これは聖書のある部分について学生さんがなんでも言えるディスカッションの場になっているです。
これはとても幸せなこととして、今までずっと保ってこれてるんですね。あとはアドバイジーを家でやってたりC-weekのときのオープンハウスは続けているなどして、学生が家に来られるような環境づくりを続けています。
昔は燭火礼拝の時に学生や先生を招いて、食卓を囲むなどといったことがあったのですが、負担がかかるのがとても大きくなったりしてその精度がなくなってしまったのがさみしいです。
そうやって、だんだんと家に学生が訪れる家庭が少なくなっていき、ICUファミリーという言葉が死滅してしまったのがとても悲しいですね、、。

いまのICUのおすすめの場所
ICU内では我が家だけれども、ICUの周辺の話をしたい
私は2005年からずっと歩いて散歩して通勤しているのですが、それは自分にとってとても特別な時間になっています。自然が素晴らしいのを実感できますし、水鳥やうさぎや亀もいるし、草木や花も四季折々で綺麗です。野川沿いからずーっと歩いていく30分ほどのコースなのですが、ICUの森の外を回っているものなんです。その道を通ると、前日に嫌なことがあっても、自然を見ることで嫌な気持ちも抜けてしまって、一日がいい気持ちでスタートできるです。あと、三鷹七中の近くの七中階段という絶景スポットがあるですよ。そこの日の入りが天下一品の絶景で、ちょうど当時の頃だと富士山のところに日が沈んで、富士山がくっきり見えてとても美しいです。最後に多磨霊園ですかね。東郷平八郎さんや与謝野晶子さん、ICUに関わっていた内村鑑三さんとかの著名な方が埋葬されているところなんです。その埋葬された方の個性が出たいろいろなお墓があって、歴史巡りもできるし、好きな人のお墓だけをみてもいいと思います。多磨霊園は墓碑を見たりして、いろいろなことが考えさせられる素敵な場所ですね、是非一度行ってみてください。


どのように変わったか
今の生徒さんは知らないと思うのですが、オスマーができる前に何があったかというと、ただ凹んでいる場所だったですね。そこで雪が降ると、スキーやそりをしているひとがいてとても楽しんでいました。はしゃぎすぎて怪我人がでて、救急車が来る事があったほどとても急な坂ではありましたが、そこでそり遊びをしたりするのがとても楽しかったです。また、建学当初は平和を希求する大学として作られたのですが、中の人がたくさん変わってしまって、昔に比べるとキリスト教精神が薄れてしまったじゃないかなあと思ったりもします。まあ人が入れ替わることで、同じ信念をもち続けるのはとても難しいので、、、


これからどうしていくか
これからICUがどう変わっていくのかは、それはみんなが決める問題だからあまり語ることはないけれど、平和を希求するために違う文化背景の人達が同じファカルティーの下で話し合った、という建学当初姿勢を忘れてはいけないと思います。四月生、九月生がともに学べるようにしなくてはいけないという体制なので、まあいろいろ制度不良が出てきたりはしてますけどね。それでも、ICUではサラダバーではなくメルティングポットへ、閉鎖的価値観から開放的価値観へという姿勢で今まで続いてこれたので、これは守られるべきだと思います。あとはひとりひとりの尊厳を守ろうとする姿勢ですかね、、いい場所やいい大学っていうのは、女性が元気でいられるところのはずなんです。女性と男性が平等に議論できる、自由にものを言ったり議論できたりできる場所やスペースが、学内にあるというのはとても良いことだと思います。それと、自由っていうのがとても大事に思われていますが、~からへの自由ではなく、~への自由だというのを学生は考えて行動したほうがいいじゃないかあって。学生は、自分がこの世界に対して理解できるのはほんの少しだ、ということを前提に進んでいかなければならないと思うです。だからICUには、自分が何も知らないのだということを理解して、自然をわかった気にならずに謙虚さを教育できるような学校であってほしいですね。





鈴木先生
思い入れのある場所「学内住宅」
<![if !vml]><![endif]> 1993年から大阪の方の国立大学からここにやってきて、96年まで外に住んでいたけれど、96年からずっと学内住宅です。
学内住宅が思い入れのある場所というには、二つ理由があります。
一つ目は、心を豊かにしてくれたということ。ICUの環境は、それまでずっときれいだなあと思っていたけど、
住むようになってから四季の移り変わりを身近に感じるようになりました。私は自然のことが特別好きってわけでもないけど、
楽しみながら見れるようになったということは、とても人生が豊かになった特別なことだと思っています。
なので、そういうところに住めるようになったということはとても素晴らしいことだと感じています。
私は一週間のうちに結構長い時間を仕事に費やすけれども、この自然のおかげでこころが豊かに過ごせています。
きっとこの自然がなかったら、私はダメになっていたでしょう。
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 もう一つの理由は、学生が訪れてくれるということですね。
学内住宅の作りというのは、部屋数が少なくリビングが大きいというのが特徴なので、その広いリビングに学生を招くことができるです。
ICU
で働く前から、学生に来てもらうことが奥さんにとっても自分にとっても夢でした。なので、家で授業とかとは違ういろんな話ができて、教師と生徒、といった形とはまた違う形で関係が持てるということがとても嬉しく思っています。
例えば、2003年から始まってる聖書の会というのがあるのですが、これは聖書のある部分について学生さんがなんでも言えるディスカッションの場になっているです。
これはとても幸せなこととして、今までずっと保ってこれてるんですね。あとはアドバイジーを家でやってたりC-weekのときのオープンハウスは続けているなどして、学生が家に来られるような環境づくりを続けています。
昔は燭火礼拝の時に学生や先生を招いて、食卓を囲むなどといったことがあったのですが、負担がかかるのがとても大きくなったりしてその精度がなくなってしまったのがさみしいです。
そうやって、だんだんと家に学生が訪れる家庭が少なくなっていき、ICUファミリーという言葉が死滅してしまったのがとても悲しいですね、、。

いまのICUのおすすめの場所
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ICU内では我が家だけれども、ICUの周辺の話をしたい
私は2005年からずっと歩いて散歩して通勤しているのですが、それは自分にとってとても特別な時間になっています。自然が素晴らしいのを実感できますし、水鳥やうさぎや亀もいるし、草木や花も四季折々で綺麗です。野川沿いからずーっと歩いていく30分ほどのコースな<![if !vml]><![endif]>のですが、ICUの森の外を回っているものなんです。その道を通ると、前日に嫌なことがあっても、自然を見ることで嫌な気持ちも抜けてしまって、一日がいい気持ちでスタートできるです。あと、三鷹七中の近くの七中階段という絶景スポットがあるですよ。そこの日の入りが天下一品の絶景で、ちょうど当時の頃だと富士山のところに日が沈んで、富士山がくっきり見えてとても美しいです。最後に多磨霊園ですかね。東郷平八郎さんや与謝野晶子さん、ICUに関わっていた内村鑑三さんとかの著名な方が埋葬されているところなんです。その埋葬された方の個性が出たいろいろなお墓があって、歴史巡りもできるし、好きな人のお墓だけをみてもいいと思います。多磨霊園は墓碑を見たりして、いろいろなことが考えさせられる素敵な場所ですね、是非一度行ってみてください。

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どのように変わったか
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今の生徒さんは知らないと思うのですが、オスマーができる前に何があったかというと、ただ凹んでいる場所だったですね。そこで雪が降ると、スキーやそりをしているひとがいてとても楽しんでいました。はしゃぎすぎて怪我人がでて、救急車が来る事があったほどとても急な坂ではありましたが、そこでそり遊びをしたりするのがとても楽しかったです。また、建学当初は平和を希求する大学として作られたのですが、中の人がたくさん変わってしまって、昔に比べるとキリスト教精神が薄れてしまったじゃないかなあと思ったりもします。まあ人が入れ替わることで、同じ信念をもち続けるのはとても難しいので、、、

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これからどうしていくか
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これからICUがどう変わっていくのかは、それはみんなが決める問題だからあまり語ることはないけれど、平和を希求するために違う文化背景の人達が同じファカルティーの下で話し合った、という建学当初姿勢を忘れてはいけないと思います。四月生、九月生がともに学べるようにしなくてはいけないという体制なので、まあいろいろ制度不良が出てきたりはしてますけどね。それでも、ICUではサラダバーではなくメルティングポットへ、閉鎖的価値観から開放的価値観へという姿勢で今まで続いてこれたので、これは守られるべきだと思います。あとはひとりひとりの尊厳を守ろうとする姿勢ですかね、、いい場所やいい大学っていうのは、女性が元気でいられるところのはずなんです。女性と男性が平等に議論できる、自由にものを言ったり議論できたりできる場所やスペースが、学内にあるというのはとても良いことだと思います。それと、自由っていうのがとても大事に思われていますが、~からへの自由ではなく、~への自由だというのを学生は考えて行動したほうがいいじゃないかあって。学生は、自分がこの世界に対して理解できるのはほんの少しだ、ということを前提に進んでいかなければならないと思うです。だからICUには、自分が何も知らないのだということを理解して、自然をわかった気にならずに謙虚さを教育できるような学校であってほしいですね。



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